渋川山車祭りは2年毎に行われる、歴史ある祭りです。22年度「神輿渡御」が復活しました。 

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22年度渋川山車まつり
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山車の由来
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渋川山車まつり 八幡坂上り

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山車の由来 

「北関東一のあばれ山車」の異名を取る勇壮な祭りで、参加各町それぞれに人形を乗せ、見事な彫刻で飾られた山車が市街地を練り歩きます。昭和33年、加藤虎三の製作の山車です。郷土の名工による壮麗な彫刻美は、町内の人々の大きな誇りとなっています。

み組八幡坂のぼり01 み組 八幡坂のぼり02 
平成20年度八幡坂上がり 

◆南町山車の歴史

本座人形は、八幡太郎義家。
昭和三十三年の建造。
昭和四十五年に譲り受ける。
彫刻は加藤虎三
明治の中ごろ回転式の山車を譲り受けたが、明治四二年に沼田町上之町に譲渡した。


22年度渋川山車まつり開催


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人形の由来

八幡太郎義家 はちまんたろうよしいえ) 

 平安後期、前九年の役で活躍した武将です。石清水(いわしみず)八幡宮で元服したので八幡太郎といわれています。文武に秀で「天下第一武勇之士」といわれ、「千載集」に和歌も残しています.


八幡太郎義家について

八幡太郎義家


 源義家(みなもとのよしいえ)は、藤原道長の四天王と呼ばれた河内源氏の祖・源頼信(よりのぶ)の長男・頼義(よりよし)の息子として長暦三年(1039年)に生まれます。 母は、上野介(こうずけのすけ)を務めた平直方(なおかた)の娘で、頼義の武勇に惚れこんだ直方が、「ぜひ!わが娘を・・・」と望んだ結婚だったようです。 7歳になった義家は、京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう・八幡市)で元服し、以後、八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)と呼ばれます。

 
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神輿渡御(みこしとぎょ)復活

渡御行列とぎょぎょうれつ

神輿渡御


渡御は多くの氏子が祭礼に関わることの出来る場面の一つで、神輿の担ぎ手になったり、祭礼の規模の大きなところでは山車、獅子舞や舞踊などを繰り出し行列になる。 渡御行列の順序は祭礼によってまちまちであるが、行列の先頭部には先導役の猿田彦がいることが多く、 その次に御幣、笠鉾、獅子、幟、高張り提灯、太鼓などの露払いの役目を持つものや先頭を示すものがあって、 神輿がくることが多い。このほかには、神職、巫女、稚児、山車、獅子、舞踏などが行列に含まれる。